【弘前×台湾】弘前時間走がきっかけで知った蒋介石の書が残る「貞昌寺」の歴史的縁

お出かけ

2025年、第4回を迎えた弘前24時間走/48時間走/6日間走選手権&公認100kmウルトラマラソン(通称:弘前時間走)には、国内外から多数の選手が参加しました。

その中には台湾やモンゴルなどからの招待選手の姿もあり、競技を超えて人と人、国と国との結びつきが生まれています。

実際、弘前時間走を通じて台湾の大会に出場した日本人選手もいれば、逆に台湾から来日してレースへ挑む選手もいます。

こうした「走る」ことを通じた国際交流が、弘前という土地で確かに育ちつつあります。

そんな中でふと耳にしたのが、「弘前市新寺町に、台湾と深い縁を持つお寺がある」という話でした。

蒋介石の書が残る寺──弘前市新寺町「貞昌寺」

弘前市新寺町にある月窓山 栄源院 貞昌寺(ていしょうじ)。

寺の名は、津軽藩初代藩主・為信の母である桂屋貞昌大姉(戒名:貞昌大禅尼)に由来します。

その創建は永禄2年(1559年)、為信が母の供養のため、京都から禅僧・岌禎法庵(ぎゅうていほうあん)を招いて開山したのが始まりです。

当初は現在の平川市大光寺に建立されました。

のちに弘前城の築城に伴い、城下町へ移転。

そして慶安3年(1650年)、2代藩主・津軽信枚の時代に現在の新寺町へと再移転され、今に至ります。

そんな由緒あるこの寺の境内に、静かに佇む石碑が2つ。

それが、弘前藩士の家柄の出である山田良政、純三郎兄弟の顕彰碑です。

  • 山田良政(兄):明治期に孫文の辛亥革命に加わり、志半ばで殉職。日本人で初めての中国革命殉難者とされる。
  • 山田純三郎(弟):兄の意思を継ぎ、革命支援を続け、孫文の臨終にも立ち会ったと伝えられる。

2人の志を讃えた碑のうち1つには、中華民国初代総統・蒋介石による揮毫が刻まれています。そしてもうひとつの石碑には孫文が筆をとった追悼文が刻まれています。

「永懐風義(えいかいふうぎ)」

――永くその風格と義を懐かしむ。

静かな石の文字から、蒋介石の深い敬意が感じられます。

弘前時間走と台湾との交流

2025年大会でも、台湾からの招待選手が弘前時間走に参加しました。

レース本番でも粘り強く力を発揮し、過酷なレースで見事な成果を残しています。

また、レースの他にも台湾からは観光客が弘前城さくらまつりにたくさん訪れ、さまざまなシチュエーションで弘前を訪れてくださるようになっています。

四季折々の弘前が、国を超えて人々を惹きつけているのではないかと思えます。

そして、2026年にはこの大会が「国際大会」として正式開催される予定です。

弘前時間走は、走ることを軸にしながら、新たな国際交流の窓口となりつつあります。

歴史と未来が交差する地、弘前

貞昌寺には、約3,200㎡の敷地に広がる縮景式庭園(市指定名勝)や、釈迦涅槃像(延宝8年=1680年、県指定文化財)といった、江戸時代の文化を今に伝える見どころもあります。

それと共に、山田兄弟の碑とそれに刻まれた蒋介石の筆や孫文の追悼文もまた、佇むように歴史と未来を見守っています。

もし、あなたが弘前時間走に参加する機会があれば。

あるいは、観光で弘前を訪れることがあれば。

この静かな寺を、ぜひ訪れてみてください。

項目内容
寺名月窓山 栄源院 貞昌寺(ていしょうじ)
所在地青森県弘前市新寺町108
宗派浄土宗
主な文化財・縮景式庭園(市指定名勝)
・釈迦涅槃像(延宝8年作/県指定有形文化財)
・山田兄弟の顕彰碑(蒋介石揮毫あり)
アクセスJR弘前駅から車で約10分/弘南バス「新寺町」バス停すぐ
備考一部文化財の見学は事前連絡が必要な場合があります

コメント

タイトルとURLをコピーしました