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日本で増加する「人と熊の衝突」——今、見直されるべき熊対策とは?
近年、日本各地で熊による人身被害が相次いでいます。東北や北陸、北海道では「人を恐れない熊」や「人を襲うことを学習した個体」が出没し、登山者やランナー、農作業者が犠牲になるケースも後を絶ちません。
こうした現状に対し、あなたはどのような熊対策を行っていますか?熊鈴をつける、ラジオを流す、大声を出す──こうした対策は従来から知られていますが、果たしてそれは本当に効果的なのでしょうか?
この記事では、世界各国での熊対策の実例や研究結果を比較しつつ、熊鈴・スピーカー・人の声といった「音による予防手段」の有効性についての研究をもとに、現代の熊避けにおける「常識の再検討」を行います。
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第1章:世界の熊対策に学ぶ——「熊鈴」ではなく「人の声」が主流?
1-1 北米のベアカントリーでは「人の声」が推奨されている
アメリカやカナダのロッキー山脈、アラスカなど「ベアカントリー」と呼ばれる熊の生息地では、熊との遭遇リスクを減らすためにさまざまな対策が採られています。
その中で最も一般的かつ有効とされているのが、「グループで歩くこと」と「人の声を出し続けること(=Make noise)」です。
米国国立公園局(NPS)の公式ガイドラインでは「ハイカーは定期的に話し声を出し、角を曲がる前など視界の悪い場所では特に声を上げるように」と推奨されています。
また、アラスカ大学フェアバンクス校の研究(2018年)では、熊鈴を装着したグループよりも、人の声を出して行動したグループの方が、熊との接近遭遇が有意に少なかったという調査結果も報告されています。
1-2 熊鈴はなぜ頼りにされないのか?
日本では広く使われている熊鈴ですが、北米ではほとんど使用されません。その理由には以下の点が挙げられます:
• 音量や周波数が周囲の環境音(川音や風音)にかき消されやすい
• 単調な金属音は「人間の存在」と認識されにくい
• 一部の熊は鈴の音に慣れてしまう(habituation)
実際、カナディアン・ロッキーでは「熊鈴よりも声や手拍子の方が効果的」という認識が登山者の間で広まっています。
また、米国アラスカ州のレンジャー隊員は「熊鈴よりも人の声を使え」と一貫して主張しており、クマ撃退スプレーと合わせた「ダブル対策」が現在のベストプラクティスとされています。
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第2章:熊鈴・スピーカー・人の声──どれが最も効果的か?比較研究の紹介
2-1 日本における最新の比較実験(信州大学・秋田県)
信州大学と秋田県が共同で行った2022年のフィールド実験では、熊鈴・人の声・モバイルスピーカーの3条件で熊の反応を比較する調査が行われました。
結果概要:
• 熊鈴のみでは40〜50mまで接近される例が多く、警戒行動は弱い
• スピーカーから人の話し声を流した場合は、100m以上の距離から回避行動を取る例が多数
• 実際の登山者の声でも高い警戒反応が確認された
この研究は、熊鈴は単調かつ人工的であるため「自然音の一部」として処理されてしまうことが多く、熊避けとしての有効性が低い可能性を示唆しています。
• 音源が「不規則」で「多様性」があるほど、熊は人間と認識しやすい傾向
2-2 海外の実験:カナダ・ワシントン州・ノルウェーなどの事例
• カナダ・バンフ国立公園(2016):録音した人間の会話音を流すと、熊は90m以上の距離で方向転換する傾向が強かった(対照的に熊鈴では60mまで近づいた例あり)
• 米ワシントン州(2019):音声スピーカーによる防除実験で、人間の声は狼・熊などの捕食者に対して最も強く回避行動を引き起こした
• ノルウェー環境庁の報告(2021):ハンターによる「ラジオ使用」「発声行動」が、接近リスクを大幅に下げたと分析
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第3章:「人の声」は万能ではない——リスクとなる個体も存在する
3-1 学習型の問題個体には逆効果の可能性も
有効性が高いとされる「人の声」も、全ての状況で安全とは限りません。
特に問題となるのが、人間を餌の存在と認識するようになった「学習型の問題個体」です。たとえば:
• 過去に人間からゴミや食べ物を得た経験がある熊
• キャンプ場で残飯をあさって人間との距離感を失った熊
• 襲っても報復されないと学習した熊
このような熊にとっては、人の声は「獲物の位置情報」になりかねません。
実際に、北海道の**知床で発生したヒグマ襲撃事件(2021年)**では、複数の被害者がラジオを流していたにもかかわらず襲われており、「人の存在=餌の可能性」と学習した熊が関与していたとされています。
3-2 単独行・早朝・夕暮れ時は特に注意が必要
また、声による威嚇や存在アピールも、状況によっては逆に熊を警戒させないリスクもあります。特に以下のような条件では注意が必要です:
• 単独行で声量が足りない
• 朝夕の薄暗い時間帯で音が届きにくい
• 視界の悪い斜面やカーブで突然接近してしまう
第4章:人の声は熊避けとして本当に有効か?
4-1. 声の周波数と熊の聴覚
熊は優れた聴覚を持ち、人間の話し声や人工音(ラジオ、録音音声など)も感知します。聴覚域は約20Hz〜25kHzと人間に近く、特に低音域に敏感とされています。
この点から、「人の声=リスク要素」として認識させることで、熊を遠ざける戦略が一部の地域で採用されています。
4-2. 実験:カナダ・バンフ国立公園での音声による効果検証
カナダ・アルバータ大学の野生動物研究チームは、バンフ国立公園で行った「録音された人間の声 vs ラジオ vs 熊鈴」の比較実験(2020)を発表しています。
• 方法:公園内のトレイル沿いに複数の録音装置と動物感知カメラを設置
• 音声は3種類:①会話(男女2人の英語)②ニュースラジオ ③熊鈴(登山者の平均的な音量)
• 熊の出現率を記録し、音源別に分析
結果:
• 熊鈴は無音よりわずかに出現率が低下(統計的有意性はなし)
• ラジオは一定の効果(20%程度の出現率低下)
• 人間の会話音声は40%の出現率低下を記録(最も有効)
この研究は、人間の存在を示す「人の声」が、熊にとって警戒すべき音であることを示唆しています。
4-3. アメリカ国立公園局(NPS)の推奨方針
アメリカのイエローストーン国立公園やグレイシャー国立公園など、多くのベアカントリーでは公式に「声を出して歩くこと」が推奨されています。NPSの資料でも、
「大きな声で定期的に話すことで、熊にあなたの存在を知らせ、意図しない接近を防ぐことができます」
と明記されており、熊鈴やラジオよりも声による警告が実践的とされています。
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第5章:人を狙う熊に対しては声が逆効果となる場合も
5-1. 熊の「学習」としての人への慣れ
一部の熊は、人間の存在をリスクと認識せず、むしろ「食べ物と結びつけて学習」することがあります。北海道のヒグマ事例や、米国アラスカのグリズリーの一部個体では、
• 登山道付近で置き忘れた食料やごみ
• キャンプ場の未管理な匂い
• 人間が逃げる姿
などを通じて、「人間=餌場」や「恐れる必要のない存在」と学習することがあります。
5-2. 声を出すことで逆に接近される事例
実際に北海道・知床地方では、ヒグマが人の声に対して近づいてくる行動が報告されています(環境省 2019年報告書より)。観光客が大声で話しながら歩いていたにも関わらず、熊が逆に興味を示して接近し、威嚇・突進行動に至ったという事例が複数記録されています。
また、北米モンタナ州では、ハンターが人間の声を発していたにもかかわらずグリズリーに襲われた事例(2016年)もあり、「人の声が必ずしも撃退効果を持たない」ことが明らかです。
5-3. 問題個体(プロブレムベア)への対応方針
このような「人を襲うことを学習した熊」は、通常の熊避けでは対処が困難であり、自治体や野生動物管理局によっては以下のような対応がなされています。
• 警告エリアの設置(人間側の接近制限)
• 駆除や捕獲・GPS管理(アメリカ、カナダ、日本共通)
• ベアスプレーの携行義務化(アメリカ西部)
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第6章:熊鈴・スピーカー・人の声、それぞれの限界と使い分け
6-1. 熊鈴の限界
熊鈴は登山者やトレイルランナーにとって携帯性に優れますが、「音が小さい」「単調で熊が慣れる」「風でかき消される」などの欠点があります。特に風音や川音などの環境ノイズが強い場所では、実質無音に等しいこともあります。
6-2. 人の声の有効性と限界
人の声は「変化する」「自然界にない」ため、警戒音として有効ですが、
• 問題個体には効かない場合がある
• 単独行動中に声を出し続けるのは精神的・体力的に負担
• 夜間や人気のない山域では逆に「人間に対する警戒」が必要になるケースも(不審者対策等)
というように万能ではありません。
6-3. スピーカーや音声再生機器の活用
一部では「携帯スピーカーで音楽や人の声を流しながら歩く」方法も採用されています。特にアラスカでは、ハンターやハイカーがMP3プレイヤーで英語の会話音声を再生して歩く事例が報告されており、一定の効果があるとされています。
ただし、バッテリー切れや音質の問題がリスク要因になるため、あくまで補助的に用いるのが望ましいです。
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第7章:実践的な熊避け対策の提案
7-1. 複合的な対策が基本
熊避けに絶対的な「万能策」は存在しません。したがって、以下のような多層的な対策を組み合わせることが重要です:
対策 | 特徴 | 注意点 |
熊鈴 | 軽量・常時発音 | 音が単調・無効例もあり |
人の声 | 効果高い(通常個体) | 問題個体に逆効果の可能性 |
スピーカー | 声の代用として有用 | 電池切れに注意 |
ベアスプレー | 最終手段 | 携行・使用練習が必須 |
行動時間の調整 | 朝夕を避ける | 熊の活発時間を避ける工夫 |
複数人での行動 | 遭遇リスク低下 | 単独行より安全性高 |
7-2. 行動前の情報収集
• 最新の目撃情報(環境省・自治体のWeb、登山SNS)
• 地元ガイドや管理事務所の指導
• クマ出没マップのチェック
これらを踏まえて、**現場ごとの「リスクベース対策」**を講じることが、最も理にかなった方法です。
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第8章:まとめ 〜熊との共生とリスク管理のバランスを考える〜
熊の被害を防ぐためには、「理解し、適切な距離と対応を取る」ことが重要です。世界の事例からも分かる通り、熊鈴だけに依存するのではなく、人の声やスピーカーなどの代替手段を駆使し、複合的な対策を講じる必要があります。
ただし、人に慣れた熊や問題個体に対しては、通常の方法が通用しないリスクもあるため、常に最新情報と状況判断力が求められます。
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